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最終更新日:2016.12.17 / 公開日:2015.07.03
2日、朝日新聞が「(慰安婦問題を考える)「慰安所は軍の施設」公文書で実証 研究の現状、永井和・京大院教授に聞く」という記事を掲載した。
慰安所の設置・管理に、旧日本軍が関与したことを実証的に明らかにした永井和・京都大大学院教授へのインタビューだ。記事には、具体的な史料が明記されており、政治的な議論が紛糾する中で、歴史学による実証的な応答が掲載されたことは、意義あるものとなっている。
「吉田証言」の取り消しと朝日新聞
朝日新聞と慰安婦問題といえば、「吉田証言」の取り消しが国内でも大きな話題になった。
2014年8月5日付朝刊において、従軍慰安婦問題について、韓国・済州島で女性を強制連行したとする故・吉田清治氏の証言について、「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」と述べた問題だ。
これによって、ネットなどでは「吉田証言によって朝日新聞が慰安婦問題を捏造した」などの言説が見られ、歪曲化された議論も展開された。
しかしながら改めて強調されるべきは、朝日新聞による「吉田証言」の取り消しと、慰安婦問題それ自体の議論は、まったく異なるレベルにあるという点だ。だからこそ今回、批判を浴びた当事者でもある朝日新聞によって、慰安婦問題の実証的研究を紹介する記事が公開された意味は大きい。
そこで今回は、朝日新聞による吉田証言の取り消しに際して寄せられた批判を再び検討し、その上で改めて今回の記事が公開された意義について考えていきたい。
各界から多くの批判
朝日新聞による吉田証言の取り消しに対して、産経新聞や政治家、財界人などから大きな批判が上がったことは記憶に新しい。そこでは、あたかも吉田証言の取り消しが、慰安婦問題の議論に大きな影響を与えるかのような言説も目立った。
例えば安倍晋三首相は、10月3日の国会答弁で以下のように述べている。
本来、個別の報道についてコメントすべきでないと思っておりますが、しかし、慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、悲しみ、苦しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、ただいま委員が指摘をされたように、日本のイメージは大きく傷ついたわけであります。
日本が国ぐるみで性奴隷にした、いわれなき中傷が今世界で行われているのも事実であります。この誤報によってそういう状況がつくり出された、生み出されたのも事実である、このように言えますし、かつては、こうした報道に疑義を差し挟むことで大変なバッシングを受けました
しかし安倍首相は、慰安婦問題について「誤報によって日本のイメージが傷ついた、いわれなき中傷がおこなわれている」と語りながらも、1993年の河野談話については「継承し、見直す考えはない」と明言している。
大前研一氏による批判
より興味深いのは、各報道や政治家に限らず、広範な人々が朝日新聞について批判を展開していることだろう。
例えば経営コンサルタントの大前研一氏は、「吉田証言を取り消した朝日新聞、慰安婦問題で国民に謝罪せよ(日経BP)」の中で「言ってみれば、朝日新聞の報道が原因で、現在の最悪の日韓関係が生じたようなものである。」と述べている。
そのうえで「仮に朝日新聞が従軍慰安婦の記事を大々的に書いていなければ、韓国は従軍慰安婦問題を大きく取り上げることはなかった」と指摘。
「朝日新聞が記事を書く32年前までは、従軍慰安婦“問題”などというものは存在していなかった。その意味で、吉田証言に基づく朝日新聞の“捏造記事”は、国家・国民に対してものすごく迷惑をかけたということになる」と主張している。
堀義人氏による批判
また堀義人氏は慰安婦問題について、「【100の行動 その90】日本人としてのアイデンティティを持ち世界と接しよう!世界の中の日本編2」において以下のように述べている。
そもそも1990年頃まで、日本の従軍慰安婦問題は国際問題には全くなっていなかった。それが日韓の外交問題になったのはこの朝日新聞の誤報に韓国政府が反応したためだ。
(略)
韓国人女性が日本軍に強制連行され性奴隷になったという「慰安婦問題」はそもそも存在しない。しかしながら、朝日新聞の捏造から始まった従軍慰安婦のイメージは世界に定着してしまい、日本がそれを否定しようとすると、ジェンダーを軽視する日本として非難を受けるまでになってしまったのだ。
大前氏や堀氏のような政治家・メディア関係者以外の財界人が、慰安婦問題について発言をしているということは、この問題が広く人口に膾炙したトピックであることを示唆している。
両者による見解は、2つの点において興味深いものとなっている。1つは、政治家やメディア関係者以外も、慰安婦問題は「朝日新聞の報道が原因で、日韓関係の歪みが生まれた」と考えている点であり、もう1つは、朝日新聞の記事がなければ「従軍慰安婦“問題”などというものは存在していなかった」という点だ。
こうした見方は、(1)朝日新聞による「吉田証言」報道が慰安婦問題を浮上させたこと、(2)そして、これら一連の報道が日韓関係を規定するほどに大きな影響力を持った、と考えている人々が一定数存在することを示唆している。
しかしこれらの批判は事実に基づいたものではない点が多く、あたかも朝日新聞による吉田証言の取り消しによって、慰安婦問題が根本から見直されることになった、という言説が広まることは危険をはらんでいる。
それは、朝日新聞によって掲載された今回の記事の様に、歴史学からの実証的な応答がメディアに掲載されても、大きく注目を集めないままに忘却され、そうした記事の価値が過小評価される可能性があるためだ。
よく知られているように、慰安婦問題に関するニュースは、何度も同じトピックが、すでに研究者の間では既知のものとなっている史料をまったく参照されないままに、議論を呼んできた。今回の朝日新聞に対する批判者の言説を検討することで、われわれはそうしたすでに終焉した議論の再生産に警戒的な目を向けることができるかもしれない。
そこで以下では、(1)朝日新聞による「吉田証言」報道が慰安婦問題を浮上させた(2)そして、これら一連の報道が日韓関係を規定するほどに大きな影響力を持った(3)最後に、朝日新聞の報道がなければ「慰安婦問題は存在しなかった」という3つの言説について考えていきたい。
朝日新聞が慰安婦問題をつくり出した?
まずはじめに、朝日新聞によって「従軍慰安婦“問題”」がつくりだされたという主張は、慎重に検証しなければならない因果関係だ。
朝日新聞によって「吉田証言」が掲載された初出は、1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内で吉田が講演した内容として、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」ことが報じられた。
そして90年代になると、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件(91年提訴、04年原告敗訴)」や「釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(92年提訴、03年原告敗訴)」など、慰安婦に対する賠償を日本政府に求めた裁判が生じ始める。
こうした「 (x)=80年代の朝日新聞による報道」が「(y)=90年代の慰安婦問題の顕在化」を引き起こした、という因果関係の主張はネットなどでもしばしば見られる。たとえば、Wikipediaの「慰安婦問題」の項目(2015年7月2日閲覧)においては、
戦後長らく慰安婦が問題視されることはなかったが、後述の吉田清治 (文筆家)による捏造証言が大きなきっかけとなり、朝日新聞などのメディアが大きく取り上げたことから国際問題化していった。
という説明がなされている。
しかし、慰安婦問題の議論が広がった経緯については、朝日新聞による報道以外にも変数が存在することを無視できない。
女性のためのアジア平和国民基金(Asian Women’s Fund:以下AWF)によれば、「韓国でこの「慰安婦」問題がようやく社会的に取り上げられるようになったのは、1987年の民主化のあとでした」として、慰安婦問題が「日韓の歴史問題、謝罪問題が注目を集める」のと同じタイミングで浮上したことを指摘している。
また、朝日新聞が吉田証言を「大きく取り上げた」と指摘されているが、日本政府が最初に慰安婦問題によって賠償を求められた提訴が起きた1991年までに、朝日新聞が吉田証言を取り上げた記事は10本となっている。
およそ年に1本のペースで出された記事を「大きく取り上げた」ものと捉えるべきか、またそれがどのような経緯によって、国際的に影響を与えたと言えるべきか、十分に実証的な議論がなされてきたとは言いがたい。
こうした問題を具体的に検討した論考としては、林香里・東大教授による「データから見る「慰安婦」問題の国際報道状況」がある。これは朝日新聞「慰安婦問題」に対する独立検証委員会報告書の一部で、朝日新聞による報道と国際的な影響の関連性について、データベースを基に検討している。
そこでは
メディアに影響力があることはまちがいない。しかし、それがいつ、どの程度影響をもたらすのか、あるいはもたらし得るのかを確定することは困難である。
というD.マクウェールの言葉によって、「メディアの影響力」を定量化することは難しいという前提が述べられた上で、以下のような結論が導き出されている。
しかし、6 本のうち、3 本は、2014 年 8 月の朝日新聞の吉田証言記事取り消しに関するものだったので、これま での慰安婦問題のイメージ形成に関して限定するならば、3 本のみ該当することになる。
(略)
つぎに、吉田証言を多く引用している G.Hicks の The Comfort Women. Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitution in the Second World War の言及回数を調べたが、こちらも 4 回のみで、直接大きな影響を与えた という認定はできなかった。
他方で、欧米の慰安婦報道の一連の記事を確認していくと、「吉田清治」という名が出ておらず、Hicks の著 作が引用されていない場合でも、日本軍による慰安婦の「強制連行」のイメージは繰り返し登場する。こうした イメージは、表 II-10 で見たように、朝鮮半島以外で被害に遭った慰安婦が一定の割合で引用されていることを 考え合わせると、日本軍の強制性のイメージは、20 年のなかで輻輳的につくられていったと考えられる。
したが って、今日、欧米のメディアの中にある「慰安婦」というイメージが、朝日新聞の報道によるものか、他の情報源によるものかというメディア効果論からの実証的な追跡は、いまとなってはほぼ不可能である。
また、林教授の調査報告書にも引用されているが、木村幹・神戸大院教授による「朝日報道は実際、韓国にどのような影響を与えたか」(『中央公論』2014年11月号)も、両者の因果関係に否定的な見方を示している。
それによれば、吉田による1977年の著作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)は80年には韓国内で翻訳されており、朝日新聞が吉田証言を取り上げる82年よりも前であるため、「朝日が韓国に影響を与えた可能性はほぼ存在しない」ということだ。
いずれにしても、林教授が報告書の冒頭で述べる
「朝日新聞による慰安婦報道は国際社会に影響があった」と結論づけるのは、朝日新聞を過大に評価している可能性が高い。同様に「影響がなかった」と結論することも、朝日新聞という日本の代表的な新聞社の影響を過小評価している
という見解は、この因果関係について冷静な分析を与えていると言えるのではないだろうか。
現在の「最悪の日韓関係」
では次に、現在を「最悪の日韓関係」と述べる点についても考えてみよう。この点について、日韓関係を規定する要因を決定することは難しいが、少なくとも両国民が持つ相手国のイメージについて、経年的な変化を見ることは重要だろう。
まず、NHKと韓国の公共放送KBSによる2010年調査をまとめた「日韓をめぐる現在・過去・未来~日韓市民意識調査から~」によれば、互いの国に関心がある人は「関心がある」と答えた人が、日本は全体の57%、韓国は全体の48%となった。
1999年の調査では、「関心がある」人は韓国が55%、日本が34%だったため、両国の関心が逆転したと言えるが、現在は両国のおよそ半数が、相手国に関心を持っているといえる。
一方で、好感度で見ると互いの国を「好きか、嫌いか」という質問に対して、日本は「好き」が62%、韓国は「嫌い」が71%と対照的な結果となっている。ただし調査は「嫌い」の項目が「嫌い」と「どちらかといえば嫌い」に分かれており、韓国における「嫌い」の割合は、むしろ減少している。
こちらは2010年6-7月におこなわれた調査であるため、現在の状況を直接的に表しているわけではないが、慰安婦問題が両国間で大きく取りざたされた時期ではあるため、参考となる部分もある。
中でも興味深いのは、「韓国と日本の関係を前進させるためには,なにが必要か」という2つの回答をあげる項目で、日本は「政治的対話」が37%、「経済交流」や「文化・スポーツ交流」が28%、「歴史認識をめぐる問題の解消」が27%という回答であったのに対して、韓国では「竹島(独島)をめぐる問題の解消」が62%と最も多かったことである。
この後に、「歴史認識をめ ぐる問題の解消」の34%、「戦後補償にかかわる問題の解決」の26%などが続いており、当時の韓国における国内状況を考慮する必要があるとはいえ、少なくとも慰安婦問題こそが、日韓関係を規定しているという言説は正しくないと言えるだろう。
一方で、「現在」をより限定して考えた場合は、確かに両国の印象は悪くなっているというデータも一側面では存在する。日本の非営利組織・言論NPOと韓国のシンクタンク・EAI(東アジア研究院)による2015年4-5月の調査では、韓国の印象が「良くない」とした日本人は52.4%となり、昨年の54.4%からわずかに減少した。
その一方で、日本の印象が「良くない」と回答した韓国人は昨年の70.9%から増加した72.5%となっており、日本のイメージが悪化したと言える。
しかし2013年の調査では 韓国の印象が「良くない」と答えた日本人は37.3%、日本の印象が「良くない」と答えた韓国人は76.6%であり、日本における韓国のイメージは悪化しているものの、韓国における日本のイメージは2015年までに若干改善している。
このように、より広範な時期で考えた場合、両国への関心は良くも悪くも高まっており、単純に「現在は最悪の日韓関係」と称することはできない。また2010年以降で考えても、日韓両国のイメージが互いに急速に悪化したというよりも、若干の変動はあるものの、それを「最悪の状態」とまで呼称することはできなそうだ。
“問題”は存在しなかった?
そして最後に、朝日新聞の記事がなければ「従軍慰安婦“問題”などというものは存在していなかった」という指摘についても、検討するべきだろう。
ここで大前氏が、「”問題”」という表現を用いている意図は不明だが、これを「朝日新聞が報じなければ “事実としては” 慰安婦(のような人々)は存在したかもしれないが、”政治問題” にはならなかっただろう」と言いたいのだと解釈するならば、歴史修正主義的なレトリックを後追いしているだけだという誹りを免れられないはずだ。
まずこれは大きな前提となる問題だが、慰安婦問題を歴史家たちが扱うのは、決して現在の政治的な問題に貢献するためでも、ましてや、ある二国間関係を円滑に進めるための材料をつくるためでもなければ、自国のナショナリズム的な言説を補強するためでもない。
これは、ある時代の、ある空間における少なからずの女性たちが直面した、基本的人権にかかわる議論であり、それは常に普遍的な問題なのである。
また、当該事件の「記録」が存在しないならば、あたかもその事実は忘却されることが許される、という言説が許容しがたい点についても付言されるべきだろう。
歴史は “記録された事象のみ” を扱う領域ではない。記憶の問題や、語られた歴史、そしてほとんど語られることも記録されることもなかった過去の営みにすら、歴史家は目を向ける。
その意味で、この普遍的な人権問題について「朝日新聞の報道がなければ問題化されることはなかったであろう」と述べることは、明らかに歴史家の役割を軽視した言説であると言える。もちろんそれが、許されざることは言明するまでもない。
数多くの実証的研究は進んでいる
このように、吉田証言の取り消しに端を発する朝日新聞への批判は、多くの基本的前提を忘却していると言わざるを得ない。そもそも慰安婦問題については、今回の永井教授による指摘でも明らかなように、こうした理解とは明らかに異なるレベルで実証的な検討がなされている。
まず旧日本軍が慰安所を設置・管理したことは、すでに公文書など歴史的史料にもとづいて実証されていることから、吉田証言は慰安婦問題それ自体には、ほとんど影響を持たないのである。
そうした前提に立った上で、その信ぴょう性が疑わしいことを長年にわたって指摘され続けてきた、吉田証言に固執した朝日新聞の責任はもちろん大きいものの、それは全くもって、慰安婦問題そのものが捏造であると結論づける根拠にはならない。
もちろん慰安婦問題には、「強制性の有無」や「大規模な軍の関与」など様々な(政治的)論点が存在している。しかしそうした論点の中でも、「旧日本軍による関与」という大きな問題の1つが、史料によってすでに実証的に明らかにされていることは、何度も強調されて良いだろう。
多くの歴史的史料にアクセス可能
そして、「Apes! Not Monkeys! はてな別館」の「主要エントリリスト」など数多くの方がまとめているように、軍の関与や強制性については、すでに数多くの史料・論文が存在している。
2日の朝日新聞の記事でも触れられている通り、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」の「慰安婦関連歴史資料」については、ネットからすぐにアクセスすることができる。こちらは少し時期の遡る史料ではあるものの、現在の議論を参照する上での基本的な前提を提供してくれるだろう。
こうした事実は、決して目新しいものではないが、慰安婦問題が政治的イシューへとシフトしていく中で、大手メディアによって繰り替えし強調されても良いのではないだろうか。
歴史的事実の実証と政治的イシューの区別
誤解を恐れずに言うならば、朝日新聞による吉田証言の取り消しと今回のような実証的な研究成果を伝える記事が公開されたことを経て、たしかに慰安婦問題に関する議論は新たな段階に来たのかもしれない。
しかしそれは、「強制連行はなかった」「朝日の捏造が明らかになったので、国際社会にアピールするべき」という意味でないことはもちろん、史料による実証的な事実に目を向けて、議論を終わらせようという意味とも異なる。
まず我々は、長きにわたって日韓両国に大きな影を落としている問題について、歴史的事実の実証と政治的イシューの切り離しをおこなうべきだろう。
繰り返しになるが、慰安婦問題を歴史家たちが扱うのは、決して現在の政治的な問題に貢献するためでも、ましてや、ある二国間関係を円滑に進めるための材料ではない。だからこそ、「事実が明らかになれば、この問題がすべて解決する」という希望的観測を抜け出し、両者を切り離す必要がある。
すでに述べたように、歴史学のレベルにおいて慰安婦問題については、様々な事実が明らかになっている。「証拠を出せ」「事実を明らかにしろ」と叫ぶ論者に対しては、丁寧にそれらの研究成果と論文、そして一次史料をサジェストしていくしかないだろう。
普遍的な人権の問題
その上で、政治的イシューについても異なるアプローチが必要だ。それは安倍首相が考えるように、「慰安婦問題を国際社会に説明していく、事実を伝えていく」のではなく、この問題を「歴史的な問題」から「普遍的・人権的な問題」としてシフトさせていくことだ。
こうした捉え方は、林教授による報告書でも主張されている。少し長くなるが、以下に引用する。
その傍らで、検証した欧米各紙には、慰安婦問題を東アジアのローカルな話題として限定せずに、より広いテーマとして捉えるものが目に付いた。すべての報道がそうではないが、欧米の報道には、元慰安婦たちの個人的経験を、人道主義的、普遍的観点から捉え直そうとする試みが見出される。
つまり、そこには、慰安婦をはじめ、戦時の性暴力被害に遭った女性たちの経験を、近代の国家権力の暴走の構造的な副産物であると捉え返す視点が存在した。
こうした記事には、帝国主義や軍事・独裁政権は、女性、被植民者、被支配者たちの権利を周縁化しながら、差別構造を内在させて国家の発展を導いたとする、批判的世界観が存在する。差別の構造は日本だけにあったのではなく、欧州、米国、アジアなど広く近代国家の問題だった。そして、今日現在も、性的搾取が目的の女性や子どもの人身取引の問題が日本だけでなく世界各地に存在する。欧米の各紙には、こうしたまなざしから慰安婦問題を取り上げようとするものがあった。
これに対して、日本側は反論する。日本の慰安婦問題は、そうした社会構造に規定される類の問題というよりは、当時の慰安婦たちの個人的な経験の集積として受け止めるべきだという主張である。
そこでは、慰安婦の募集・動員に際していかなる類の強制性があったのか、それは広義なのか狭義なのかが問題となる。こうしたスタンスは、しかし、上記のような欧米の社会構造への批判をする文脈からすると、ほとんど理解されない。
ここで述べられるように、慰安婦問題は日韓の、そして東アジアのローカルな問題として捉えられるべきではなく、むしろ近代、帝国主義、あるいは植民地主義から生み出された普遍的人権の問題として捉えられるべきなのである。
もちろん、慰安婦問題をより広範なレベルで捉えることは、個々の女性が直面した、それぞれの物語を忘却する危険性にも繋がる。それらはトレードオフの関係にはないものの、コインの裏表の関係であることは忘れてはならない。
(アジアの)近代化と慰安婦問題
慰安婦問題が、歴史的事実の問題ではなく近代の普遍的人権の問題として捉えられるべきだという意味で、この問題は「日本がいつまで謝罪をすれば良いのだ」という批判や「とりあえず謝っておけば良い」というスタンスから理解されるべきではない。
むしろアジアの近代化という局面において、なぜ/どのようにこうした問題が立ち上がり、それは戦後において、どのように総括されたのか?という問いとして、日韓はもちろん、よりグローバルな領域で検討されなければならない。
もちろんその過程で、韓国をはじめとしたアジアに対しての謝罪を継続的におこなっていくという “戦略” も出てくるかもしれないが、それは安倍首相が掲げる「女性が輝く社会」という “戦略” とそれほど乖離したものではないだろう。また、この問題を広く「女性の人権」の問題として捉え直す営みによって、近代を捉え直すことは、おなじく安倍首相が掲げる “戦後レジームからの脱却” と不可分な問題であるとも言える。
慰安婦の問題が、政治的イシューとして大きく取り上げられるようになったことは、歴史的問題がいまだに現在的な問題であることを想起させ、戦時下における女性の人権について議論を誘発したという意味で、一定の意味を有していたのかもしれない。
しかしそれは一方で、当事者たちを長きにわたる政治的な論争の渦中に投げ込んだという罪以外にも、慰安婦以外の女性、すなわち「からゆきさん」とよばれる海外にわたって娼婦として働いた女性、日本にやってきた清国・朝鮮の貧しい女性、居留地にいた国籍も曖昧な “境界上の” 女性たちの存在を霞ませることにもつながった。
慰安婦問題を普遍的な人権の問題として脱政治化することは、個々のレベルでは、慰安婦やそれ以外の人々の物語にも目をむけつつ、大きなレベルでは、近代主義、帝国主義、そして植民地主義の問題として捉え直すことに他ならない。
朝日新聞によって、図らずとも論争の中心へと持ち込まれてしまった吉田証言の取り消しは大きな意味を持っていたが、彼らが再び実証的な研究成果を紹介したことは、それ以上に大きな意味を持っていたとも言える。
今後は、慰安婦問題の実証的な研究成果をメディアが積極的に伝えていく必要があると同時に、この過度に政治化された問題を脱政治化していくことが求められる。それは研究者や政治家のみに与えられた課題ではなく、社会全体や朝日新聞をはじめとしたジャーナリズムに向けられた課題なのである。
石田 健
本誌編集長。1989年生まれ、早稲田大学文学部で歴史学を専攻した後に、同大政治学研究科修士課程修了(政治学)。 株式会社マイナースタジオ代表取締役CEO
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